インド-India-
就職活動がボチボチ本格化し始めた4年生前の春休み、私はインドへ行く事を決めた。
日本に残って就職活動をするべきか悩んだが、
日本で職探しをしつつ悶々と旅の空想に更けるくらいなら、思い切って旅をして、
帰ってきたらみんなの倍頑張って就職活動をしようと決意し、
就職課に相談に行きつつも結局反対意見を無視し、私は1月27日、新千歳空港 を発った。

今回は、成田から台湾経由でインドへ向かう。

というわけで、まずは東京へ。

東京では、幼馴染みの上田氏と、中学時代の友人カーリーさんこと苅谷さ んと会う事になっている。
「京浜急行線」と「京急線」が同一だという事さえ気づかず駅でオロオロしていた私だっ たが、
上田氏がこまめに現在地をメールで確認してくれたため、無事に、かの有名な「ハチ公 前」にて再会する事が出来た。

キリストをモチーフにしたちょっと変り種のレストランで食事した後、カーリーさん宅に 宿泊。
カーリーさんは親切にも、成田空港までの道順も調べてくれていた。
(ってか自分で調べて来いよって感じなんだけど。)
翌日は、カナリ早朝の出発だったにも関わらず、カーリーさんはわざわざ起きて見送って くれた。

いきなりの連絡にも関わらず、交通全部調べてくれたり、晩ご飯おごってくれたり、家に 泊めてくれたり、
上田氏、カーリーさん、数え切れぬ親切、本当にありがとうございました。
またお世話になることあったらよろしくお願いします。(←世話になる気マンマ ン)


台湾で3時間のトランジットを経て、いよいよインド行きの飛行機に乗りこむ。
この飛行機で隣の席になった小熊さん
かれこれ通算するともう4年はインドにいる計算になる、という根っからのイン ド好きのおじさんだった。
旅先で会った女性と日本で同棲生活をしているというので、
「旅先で会った人ってすごくかっこいく見えるけど、日本に帰ってきたら “やっぱりただ の人だった”みたいにならないんですか?」と聞いてみると、
「逆に旅の間って24時間一緒だったりして、 俺は旅をしている時がその人の本当の姿だ と思うけどね」と返され、なんだか納得させられてしまった。
確かに旅の間って、もうアドレナリンが大放出で、五感もフルに働いていて、
そのせいか、物事に対する感動の度合いも大きいし、ちょっとの事で泣いたり怒ったり、 感情も豊かになる。
なんだか、自分に対して素直になれる。
もちろん日本の生活が窮屈ばかりっていうわけではないけれど、
旅を繰り返してしまう理由の一つってここにあるのかなって思ったりもする。
…うーん、小熊さん、良い事言いますね。さすがインド通は違う…。

デリー-Delhi-
飛行機は夜の10時頃インドのデリーに到着した。
小熊さんは同じ便の日本人旅行者に声を掛け合っていた らしく、
私もそれに便乗して、計4人でタクシーに乗り、デリーの街へと繰り出した。

デリーの夜は真っ暗だ。
所々で焚き火をしている人がいるけれど、その他にはあまり明かりがなく、
インド人の大きな目だけがギョロギョロしていてちょっとコワイ。
小熊さんが前回インドに来た時に泊まったという宿にみんなで向かい、
もう1人の女性の旅人、下迫さんと一緒にツインの部屋に泊まることになっ た。
下迫さんは、失業保険で南米を3ヶ月旅していたというツワ者だ。
いやー、ほんとインドに来る人ってクセがあっていいなぁ。
私も、大学ではちょっと“変わった人”に見られがちだけど、こんな中にいたら、なんだか全然普通の人、って感じる。
別に変人になりたいわけじゃないけれど、
でも、普通に生活してたら出会えない、そして私が理想に思っている生活を実現している人達とこうして会えている今がある。
旅の魅力って、こんなところにも隠れていると思う。


翌日、早速列車のチケットを買いに、駅へ向かう。
ツーリストの受付カウンターを探していると、インド人のおっさんに、「チケットはこっちだよ」 と手招きされた。

このときの私は、インド人というものを全く理解していなかった。

私は、明らかに駅の敷地出たよな、と思いつつも、そのおっさんを信じておっさんの後をついていった。
そしてそこで、とりあえずガンジス河で有名な街、バラナシ行きのチケットを頼んだのだ が、
「しばらくはfullだ」と言われ、全く取り合ってもらえなかった。
すると、そのおっさんは、別のいいところを知っていると言って、バイクで連れて行って くれた。
そこは政府関係の旅行会社だから、チケットが他より取りやすいと言う。
ま、チケットが取れれば駅でも旅行会社でもどこでもいっか。

…あぁ、なんでこうやすやすとインド人を信じちゃったかなぁ…。

その旅行会社で、私はまたバラナシ行きのチケットを頼んだ。
すると、これから2週間はfullだと言う。
じゃあ場所を変えて、タージマハルで有名なアーグラーはどうだろう。
すると、同じようにしばらくは空きがないと言う。
「それじゃあ、チケットが取れるまでの間、ウチのミニバスで近郊を回ったらどうだ」
「うーん…」
あまりデリーに良い印象を抱いていなかった私は、早くここを出たいという焦りもあ り、
悩んだ末、最初の言い値の300ドルを200ドルまで値切り、そのプランに乗る事にした。
早速午後にバスが出るという事で、宿まで荷物を取りに向かったのだが、
その道で、私は色々考えた。

200ドルって高過ぎないか?そもそも、私はそんなに焦る必要があるのだろうか?
今回は前と違って40日近い旅だし、なんも急がなくてもいいよね…
ちゃんと見たらデリーも楽しいかもしれないし…


「…やっぱりキャンセルしよう!」

私は途中でUターンして、旅行会社へ向かった。
「やっぱりキャンセルします!」 「もう遅い。金は払ってしまったから返せない」
「そんなわけないじゃんつい数分前の話だもん返して」 「ないものはない」
「警察呼んでやる!」 「呼べるもんなら呼んでみろ!!」 「イヤー返してー!!!」
…とゴネにゴネ、80%まで返してもらえる事になり、40ドル近く損はするがいいやと 思って返してもらった。

そして帰ろうとすると、別の人が出てきて私を引きとめてきた。
「いやーアイツはものわかりが悪くて申し訳ないね。チャイでも飲んで一休みしていって 下さい」
この人はゴネて相手がカッとなった時に仲裁にも入ってくれた人で、
私はとりあえずそこに腰を下ろし、その男のチャイを受け取った。

ここからインド人のさらなる襲撃が始まるとは露知らず…。

「そもそも当初はどこに行くつもりだったんだい?」
私はひと悶着終わってホッとしたせいもあり、この男に、日本で考えていたプランを全て 話してしまった。
「最初はバラナシに行って…それからここに行って…帰国は…」
男は私が言う道をテーブルの上の地図に書きこんでいく。
「うーん、じゃあこうしたらどうだ、
  ここは車で回って…ここでチケットを取って…ここに向かって…」

男は具体的に滞在日数や日付もそこに書き足して行き、「トータルで300ドルくら いだなぁ。」
エッ?!

…それにしても、そんなに列車が満席だとは思わなかったぁ…
東南アジアなら、行きたいと思った翌日には簡単に移動出来たのに…
どうしよう、この人の言ってるプランも悪くはないし…
行く町行く町でfull、fullって言われて足止め食らうよりは今まとめて取った方がいいかな…

悶々…悶々…


先ほどの言い合いによる体力消耗、 インドの列車事情がわからない不安、 思考回路の疲労、 そこから来る判断力の低下
私はその提案を飲んでしまったのでした。
200ドルの提案を40ドルの損失付きでキャンセルした直後に300ドル近い提案を飲 むなんて…
アホだと思ったでしょう。
アホ、私はアホなんだ…

今考えれば、いくら列車が混むシーズンと言っても2週間満席なんて事はあり得ないし、
バスで近距離移動を繰り返すとか、他にも手立てはたくさんあったはずなのに、
なぜかあの空間にいると、本当に頭がショートして、正しい判断が出来なくなってしま う。
デスクの上には、たくさんの日本人のパスポートのコピーが置いてあった。
きっと今までにもたくさんの日本人がここで思考能力を奪われ、大金を落としていったの だろう。
そして私のパスポートのコピーもこの束に加えられ、
「たくさんの日本人が利用してるから安心しろ!ほら、これを見ろ」と言う時の小道 具に使われるのだろう…。

結局宿から荷物を持ってここに来るハメになり、まずはジャイプールへ向かう事になっ た。
ジャイプールと、その次の街アーグラーまでの3日間は、車で移動する。運転手との二人 旅だ。

運転手はニルというヒゲのおっさん。(20代って言ってた。ウソだ
これから旅を共にするという事で、彼はジャイプールに行く前に、着替えを取りに自分の家に寄るという。
車はデリーの外れにある、小さな街に止まった。
ニルが色々している間、車から出てみると、街の子供達が見えた。
みんな、微妙に距離を置いてこっちを見ている。こっちから近づくと、キャーと言って逃 げる。
でもちょっとすると、また少しずつ近寄ってきて、大きな目でジーッとこっちを見つめ る。
街の子供たち
(上)車に寄って来た街の子供達。

ニルの準備が出来て、すぐにその街を出たのだが、あまりに子供達がかわいかったので、ニルにそう言うと、
「じゃあ今日は俺の街に泊まるかい?」
というわけで、車をUターンさせて、私達はまたその街へ戻った。

車を止めると、また子供達がたくさん寄ってきた。
ニルに話を聞くと、私はこの街に来た初めての外国人=彼らは外国人を見るのが初め て、なのだそうだ。
今晩私が泊まるとわかってか、今度は子供達みんなが私の服の袖を引っ張る。
どうやらみんな、それぞれ自分の家に私を招待したいらしい。
一番強く引っ張る子について行くと、その子の家に連れて行かれ、30人近い他の子供達 と一緒にその家にお邪魔した。
すると、そこのお母さんが、カップにチャイ(インドのミルクティー)を入れて持って来 てくれた。
誰かが椅子を運んできて、私がそこに座り、子供達は私の前に立って、私がチャイを飲む 様子をジーッと見ている。
約30人、60個の目に見つめられながら飲むのはなかなか飲みづらかった。
そしてそのチャイを飲み終わると、「次は私の家!」と私の引っ張り合いが始まる。
私はこうして子供達の家を転々とハシゴし、それぞれの家でラッシーやらバッファローの ミルクやらチャパティーやら、色々なものをご馳走になり、
トータルで10杯以上のチャイを飲んだ。

大人も含め、この街に英語を話せる人はニルしかおらず、私もヒンディー語はわからない ので
言葉でのコミュニケーションは図れなかったのだが、そこで役に立ったのが、デジカ メだった。
前の旅で、言葉の通じないラオスの子供達との交流にも、デジカメは一役買っていた。
本当にデジカメは旅に欠かせない。
今回もラオっ子同様、子供達にカメラを向けると、一枚撮るたびに大騒ぎになった。
インドの子供達はみんな目が本当にパッチリしていてかわいくて、私もたくさんたくさん 写真を撮った。
1 2 3 4

街の各家庭を回っているうちに夜になった。
なんとこの街、夜は電気が通っていない。
ニルの家でご飯を食べ、子供とじゃれていると、ろうそくを片手に続々と人が訪ねて来 る。
何事かと聞くと、「この街に外国人が来た」という情報が街を飛び交っていたらしく、
みんなわざわざ私に会いに来てくれていたのだ。
言葉が通じないので、簡単な事しか話せないが、みんなが歓迎してくれているのは本当に 心から感じ、
朝はインド人にやられまくりだったが、この街のお陰で私のインド人不信はカナリ回復し た(と思う)


ジャイプール-Jaipur-
翌日、まだみんなが起き出す前に、私とニルは数人に見送られてこの街を出た。
4時間ほどのドライブの後、私達は1日遅れで当初の目的地、ジャイプールに着いた。
とりあえずは、ジャイプールで一番有名な、アンベール城というところへ向かう。
ニルは車で待っているということで、私は一人、城へ向かった。

城は、とても大きいし、あちこちに鏡の細工が施してあってとてもキレイだった。
が、城を出ようとした時に、一枚も写真を撮っていない自分に気がついた。
・・・どうも、それなりにキレイではあるのだが、あまり印象強くないというか、それほどのインパクトがなかった。
一応記念、と思い、急いで数枚写真を撮る。
昨日のホームステイが強すぎて、かすんでしまったのかなぁ。
アンベール城1 アンベール城2
(上)アンベール城

他にいもいくつかの観光地を見て回ったが、どれもあまり記憶に残っていない。
しいて言うなら、ジャイプールはピンクシティと言われていて、街の一画が全てピンクで統一されている。
特別な建造物などがあるわけではないが、その街並みが、一番良かったかもしれない。
ピンクシティ1 ピンクシティ2
(上)ピンクシティの町並み。昔のマハラジャがピンク好きだったそうな。

ホテルにチェックインし、久々のシャワーを浴びた後、私達は映画館へ向かった。
ジャイプールには、インド最大の映画館があるらしい。
もとから、インドに来たら映画を観るべき、という話は聞いていたので、私は張り切って 映画館へ向かった。

ニルがチケットを買っている間、車の中で待機していると、小さな子供が寄ってきた。
お兄ちゃんと妹で、二人ともとってもかわいい愛嬌のある笑顔をしている。
あまりにかわいいので車の窓を開けると、二人は揃ってお金を要求してきた。物乞いか!
しかし、「物乞い」というと、すごくダークなイメージがあったのだが、この子達は違っ た。
ノーと言っているのに2人ともニコニコしていて、かわいい笑顔で「オネガイッ!」 と頼んでくる。
私は基本的に、あまりお金は渡したくないので、ポケットに入っていたキャラメルを分け てあげた。
この子達はまた、カメラサービスにも長けていた。
一度カメラを向けて撮ると、「もう1テイク!」と要求し、そのテイク2ではしっかり変顔をやってのけた。
テイク1 テイク2
(左)テイク1                      (右)テイク2。1人増えてるし。

映画は、もちろんヒンディー語なのできちんとはわからないが、
実際ストーリーとかはどうでもよくて、面白かったのは、
ディズニーを越える歌の多さと、観客の素直なリアクションだった。
ヒーローが敵を倒せばみんな大喜びするし、女の人のセクシーなダンスでは、みんな 「オォー」と歓声。
ただ、休憩を挟んで3時間という構成は、私にはちょっと長かった・・・。

アーグラー-Agra-
翌日、私達はタージマハルで有名な、アーグラーへ向かった。
初日こそ、ニルの街に泊めてもらったり、関係も良かった私達だが、
昨日今日と長距離移動でずっと一緒にいると、話すネタもなくなってくる。
また、ジャイプールでは、私は自分でもっと安い宿を探したいのに
ここは勧められないとか言って、なんだか物凄く閑散とした宿に泊めさせられたり、
その夜には「何もしないから一緒に寝てもいいか」とか言ってきたりして、 私達の関係は険悪になりつつあった。
・・・ニルがイケメンの兄さんならなぁ、すごく楽しい小旅行だったんだろうけどなぁ。
だってオッサンなんだもん、オッサン
ニル
(上)ニル。絶対オッサンでしょ?!

アーグラーに着き、この日もやはり、私の意見は聞き入れられず、あまり安くない宿に泊めさせられた。
夜、外に出て夕食を済ませようとすると、ホテルにいたニルに、
「危険だから外に出るな。行くんなら俺が一緒について行く」と言われ、
こいつとメシ食うくらいならいらんと思い、 6時半にも関わらず、私は部屋に軟禁されてしまった。
「せっかく一人旅なのに自由がない・・・ニルうざい・・・」
部屋で悶々と日記を綴っていると、誰かが部屋をノックする。
ドアを開けると、韓国人の女の子が2人立っていた。
彼女達とは、外から帰ってきた時に受付で偶然会った。
日本人かと思い「こんにちは」と声をかけると韓国人よ〜と言われ、そうなんだハハハ〜 で終わっていたのだが、
「私たち、ちょっとだけビールを持ってるんだけど、よかったら部屋で一緒に飲まな い?」
「え、マジで!楽しそう!」
すると向かいのドアが開いた。
「飲み会って?オレも参加していいかな?」
「もちろん!」
というわけで、急遽韓国・ドイツ・日本の飲み会が始まった。

前の旅では、あまり旅人同士の交流というのがなくて、今回はそれにも憧れていたので、
私にとってこの飲み会は、とっても楽しかった。
韓国人の二人は友達同士かと思ったら実はおばさんとめいっこで、めいっこは上手な英語をしゃべっていた。
彼女達はこれから西の砂漠地帯、ラジャスターンへ向かうそうだ。
ドイツから来たチムニーは、大学生だけど結婚してて、バイトでジャグリングを教えてい るという個性派で、
私と数日違いで、同じゴアへ向かうと言っていた。

チムニーは翌日早いから、とすぐ去ってしまったが、それと入れ替わりに、
インド人の従業員と韓国人の子達のインド人ガイドが加わり、韓国2・インド2・日本1のアジア飲 みが始まった。
そこで私は、卒論のテーマとして考えていた、アジアの中での日本の存在や、世界の中で のアジアの立場について聞いてみた。
「日本以外のアジアの国を下に見るのは韓国でも同じ傾向だよ」
「第二次世界大戦の後、何もないところからここまで成長した日本は尊敬するね」
「俺達アジア人は、ヨーロピアンやアメリカンよりパワーがあると思う」
「あと20年もすれば、世界の経済はアジアがとってかわるはずだ」
あまりアジアの民族意識のようなものは考えた事がなかったが、何か無意識のうちに団結 意識のようなものが生まれたのだろうか、
この話し合いは思いのほか白熱し、私は部屋に戻ってからも、なんだかドキドキしてなか なか眠れなかった。


翌日、早速タージマハルへ向かう。
タージマハル、入場料を聞いてびっくりした。
今まで、金閣寺の500円だって苦しいなぁと思っていたのに、ここは5ドル+500ル ピー=2000円強。
2000円強払った中身はどうだったかというと・・・
・・・もう少し安くてもいいな、という気はするが、まぁ見て損はないな、というのが本当 のところ。
アンコールワットを見たときも思ったが、十分な計測技術もない時代に、どうしてここま でシンメトリーな建物を作る事が出来たのか。
タージマハルは実はお城ではなくて、王様の奥さんのお墓だ。
一人のお墓のためにここまで出来る、王様の権限、愛情、そして建設にかかった費 用、人の数・・・
想像すればするほど気が遠くなってくる。
ひんやりとした大理石が、余計にそんな気分にさせてくれた。
タージマハル1 タージマハル2 タージマハル3

タージマハルを出て、次に向かうのは駅だ。
そう、この日を以って、ニルとお別れなのだ!
別れの寂しさより、一人になれる開放感の方が圧倒的に大きく、大して名残惜しむ事もな くさっさと列車に乗り込んだ。
私はこれから、南にあるビーチリゾート、ゴアへ向かう。



ゴアへ   旅一覧に戻る