ラオス-Laos-
バス乗り場に着くと、そこにいるのはグループのツーリストばかりで、独り者は私だけ。

〜今、ラオス行きのバスを待っています…〜

バスが来るまで、おもむろに家族に宛てて手紙を書き始めた私。大丈夫なのか?!

バスに乗り込むと、タイ人のお姉さんが英語で何かを説明していたが、早口でよくわからない。
ラオスに着く事だけ確認し、私は早速眠りについた。

8日目。8月25日。
しっかしこのバス、よく止まる。
早朝にまたバスは止まり、それまでずっと休憩をシカトして寝ていた私は体を伸ばしに外に出てみる。
すると日本人の男の子2人組に声をかけられた。
「このバス全然進まんし、3人でこのバス降りてトゥクトゥク割って先行きませんか?」
お、何だ何だ、面白そうじゃないか。
早速トゥクトゥクをつかまえ、3人で乗り込む。
香川から来たという俊くんふっさん。二人ともイレズミとか入ってて見た目はちょっとコワイ。が、
「私イレズミをナマで見たのって地味に初めてかも…」
「あ、これイレズミちゃうで。マジックで描いてるからシャワー浴びたら落ちんねん。」
「えー!すごい!!メッチャ本物っぽいよ!」
「・・・ごめん美穂ちゃん、オレらもう美穂ちゃんの前でウソつくのやめるわ。
  こんな純粋な子初めてやわ。美穂ちゃんアレやな、北海道のスノーホワイトやな」
…という感じでメチャメチャおもろい。

「ビザも持たんで女の子一人でラオス来るなんてエライ子やな〜…」なんて感心されつつ
ラオス2回目のラオ大好き俊くんと、雪が降るとボードをしに北上し、串鳥でバイト経験もあるという渡り鳥のふっさん、
そしてスノーホワイトな私を加えた異色の3人組はめでたくラオス入りを果たしたのでした。
俊くんとふっさん
(上)無事ラオスへ入国。国境にて。左がふっさん、真ん中が俊くん。

ビエンチャン-Vientiane-
首都のビエンチャンに入り、ゲストハウスに落ち着いた私は、早速行ってみたい場所があった。
その名は「ブッダ・パーク」
タイでも似たような寺に行ったが、このブッダ・パークにも面白い仏像があるらしい。
俊くんとふっさんも興味を持ってくれたようで、私たちは3人でブッダ・パークへ向かった。

ブッダ・パークはとっても広い公園で、そしてそのあちこちに、奇妙な仏像がある。
大興奮しながら公園を歩いていると、小さな子供たちが寄ってきた。
私「サバイディー(こんにちは)」
子「サバイディー!」
私「サバイディー!」
子「サバイディー!」
私「サバイディー!」
子「サバイディー!」
…これしか知らない私はバカのひとつ覚えのようにサバイディーしまくった。
すると、「サバーイディ♪サバーイディ♪」と、サバイディーコールをしながら私の後をついて来るではないか!
…かわい過ぎるぞ、ラオっ子!!!
私が仏像を撮ろうとすると、決まって像の前に回りこんでポーズをとる。
そのうち私も仏像よりこのラオっ子達に夢中になってしまい、やたら写真を撮ってしまった。
ブッダ・パーク1 ブッダ・パーク2 ブッダ・パーク3 ブッダ・パーク4

ところでこのデジカメというのは、言葉の通じない国では恐ろしく役に立つ。
子供達も、1枚撮るたびに私のところへ走ってきて、カメラを囲んで自分を見つけては大騒ぎする。
旅の餞別にデジカメを寄贈してくださったS氏には大感謝である。

かわいいラオっ子達にバイバイを言って、私たちはビエンチャンの中心に戻った。
バスはビエンチャンの中心の市場に止まり、私はそのまま市場を散策する事にした。
ラオスの首都ビエンチャン、その中心の市場。…がコレ。
市場

ラオス、「あそこは何もないよ〜」なんて前評判はあまり良くなかったが、この平和具合が最高である。
信号も中心部に1つ2つしかナイ。
元があまりシティガールではない私は、喧騒のタイ、バンコクよりここ、ラオスが気に入ってしまった。

市場から宿へ帰ろうと思ったが、まったく道がわからない。
完全に迷ってしまい、あてもなく歩いていると、学校のようなところに出て、外のコートで同じ年くらいの学生達がバスケをしている。
するとお互い目が合って、なんとこっちおいでーと誘ってくれているではないか。
私は嬉しくなって走って行ったのだが・・・
あ。私バスケ出来ないんだった。
バスケというのは自己主張の国アメリカのスポーツであり、ボールを奪ってなんぼである。
和を重んじる日本で育ったやまとなでしこの荒木はそれが出来ない。
ボールを渡してもらい、おもむろにシュートしてみたが、やはり入らない。
場の空気を盛り下げるような真似はこれ以上したくない。
私はボールを彼らに返し、特に参加するでもなく、ニコニコと彼らのゲームを見つめていたのだった。
あぁ、バスケ得意だったらよかったなぁ〜。
バスケ1 バスケ2
(上)バスケに誘ってくれたラオスの学生くん達。

結局自力で帰れずトゥクトゥクで宿に帰った私は、ルアンパバーンに関する情報収集に努めた。
ルアンパバーンとは、ラオスの北にある街で、そこは大規模な托鉢が見られる事で有名だ。
坊主loveの私は大量に坊主が拝めるそこにぜひ行きたいと思っていたのだが、
そこまでのバスが、たまに山賊に襲われるとかバスが爆破されたとか・・・。
色々な人に尋ねるのだが、人によって言う事もまちまちで、イマイチ確信が持てない。

そうこうしつつ、宿で俊くんとふっさんと話していたところ、2人はこれからベトナムへ抜けるとのことで、一緒に行かないかという話になった。
旅の計画段階では一時ベトナムも考えたのだが、ベトナムはビザが$50という事で、
ベトナムの魅力とビザの値段を測りにかけた結果、ビザ>魅力という事でとりやめたのだ。
しかし、どうやら最近情勢が変わり、短期滞在ならビザがいらなくなったらしい。
「俺達は笑いを提供するから美穂ちゃんは俺達に英語力を貸してくれ」という需要と供給の一致と、
ルアンパバーンが微妙な事、それから、托鉢はどうやらビエンチャンでも見れるらしい、という事がわかり、私は俊くんとふっさんと共に、ベトナム行きを決めた。

9日目。8月26日。
私は朝5時半に起き、宿の前の道路に座って托鉢を待ち構えていた。
10人位の小規模で、しかも不意に現れたのであっという間に終わってしまったのだが、本当にやってんだ〜、仏教国だなぁ、と結構満足。
私の中でルアンパバーンの代わりの役目は十分に果たしたと言えよう。
托鉢1 托鉢2
(上)托鉢の様子。

それから私は、ビエンチャンの有名な寺ワット・ホー・パケオワット・シーサケートを見て回った。
ワット・シーサケートを見ていると、朝のコーヒーが当たったのか、急に腹が痛くなってきた。
ラオ語の標識ばかりでトイレがわからず、これかと思って戸を開けたら掃除用具の小屋だったりして、
チェンマイでのいかだ下りに続き、またも緊急事態の私は寺の修復作業にあたっていた兄ちゃんにトイレの場所を尋ねた。
すると兄ちゃんは、寺のお坊さん用と思われるトイレに連れて行ってくれ、事なきを得た。
その後、話の流れから、兄ちゃんとご飯を食べる事になった。

私たちの乗ったバイクは何か建物の裏に止まり、そこではラオ人が輪になって座り、昼ご飯を食べている。
そして「さぁ」とそこに案内された。
現地人とご飯か〜♪いきなりのウルルン的遭遇に大感激の私。
どうやらこの近くには学校があり、彼らはその学校の先生達で、横の建物は先生達の寮らしい。
勧められるがままにご飯を食べ始めたのだが、
ご飯の容器の中には3:7の割合でアリが混入しており、ちょっと躊躇してしまった。
それを察したティーチャー達は、別の炒め物を勧めてくれたのだが、恐ろしく辛いのである。
一口食べただけであまりの辛さに涙が止まらず、あっちもびっくり、こっちもびっくりだ。
結局全然食べられず、「辛い時にはこれだよ」と言って差し出されたをひたすらずっとなめていた。
彼らが言うには、辛い物を食べた時は、水ではなくて、お湯か塩がいいらしい。

食事の後には、先生達との話に花が咲き、JICAのお陰でラオスが助かっている事や、
ラオスのスポーツ事情、日本のサクラの下でサケが飲んでみたい、なんて話をした。
これは本当に良い体験だったと思う。
あいにく学校は休みだったのだが、もしまた行く機会があれば、ラオスの学校も覗いてみたいと思った。
先生達と昼ごはん
(上)ラオスの先生達。後ろの男の先生は数学の先生で、一番よく話してくれた。

先生達に別れを告げた後、兄ちゃんは「友好橋へ行こう」と言い出した。
友好橋と言っても国境にあるただの橋で、ぶっちゃけ全く興味ないし遠いし、気は進まなかったのだが、
こんな素敵な出会いの場をくれたし、緊急事態の私を救ってくれたわけだし、仕方なく行く事にした。
が。バイクはどんどん人っ気のない森の中の道に入って行く。
私はふと「え、ここでこの人に襲われたらどうしよう。人イナイ。牛しかイナイ」と気づいた。

「大きい道に出ようよ」「もうすぐ出るよ、ここは近道なだけだから」という会話を数回繰り返した後、
バイクは昨日ブッダ・パークに行く時にも通った、知っている大きな通りに出た。
兄ちゃんは何の悪気もなく本当に近道のつもりで通っただけかもしれないが、
一気に怖くなってしまった私は「やっぱり行かない、帰ろう」と懇願して、大きな道を通って帰る事にした。

自分から友好橋へ行こう、と誘ってきたくせに、帰り道でこいつは「これから仕事がある」と言い出した。
そして「遅れたらボスに怒られるから」とか言って、道の途中で私を降ろした。
「市場まで20mだから」と言って降ろされたが、なーにが20mだ、1.5kmは歩いた。
まぁ半ば私も早くこの兄ちゃんから離れたかったし、無事だったし、まぁいいか。
しかし、ちょっと人と接する時、特にバイクに乗る時は注意しないとなぁ〜!
謎の兄ちゃん
(上)兄ちゃんと。こうして見ると顔もやらしく、やたら顔近いし、悪人面に見えてくる

市場でシャンプーとリンスを買って宿へ戻り、
前日と同じように晩御飯を求めて宿近辺をフラフラしていたら、トゥクトゥクの兄ちゃんに声をかけられた。
「あっ、昨日の!」
このチャンという兄ちゃん、昨日も同じ場所でタムロっていて、「ディスコ行こうぜ〜♪」と声をかけてきた。
「今日こそ行こうぜ!」と、また誘われたのだが、
実はこの日の夜便で、サバナケットというラオスの東の街へ移動する事になっていた。
その旨を伝えると、「じゃあせめて飲もう!」と誘われ、
ついて行った先では一日の仕事を終えたトゥクトゥクのドライバー達が一杯やっているところだった。
私も仲間に入れてもらい、ラオ人達と酒盛りを楽しんだ。
みんなすでに酔っ払っているのか、今晩移動する事を言うと、みんな
「Oh〜、チケット明日に変更しろよ〜、何で今日行っちゃうんだよ〜!」
なので私も「今日じゃなくて昨日会えたらよかったね」と言うと
「そんな事言わないでくれよぉ〜!!」…とみんな大変ご陽気者で楽しかった。
運ちゃん達の酒盛り
(上)肩を組んでいるのがチャン。

ところでここラオスのご当地ビール、ビアラオ、これはウマイ。
私は日本ではあまりビールは飲まないし得意でもなかったのだが、ラオスに来てビールが好きになった。
もちろん暑い気候も関係しているとは思うのだが、でも実際おいしい。

まぁそんなこんなであっという間に時は過ぎ、早くもおいとましなくてはならなくなった。
お金を払おうとすると、チャンが出してくれると言う。
ちょっと戸惑ったが、周りのおっちゃん達も、「彼は男だから」というので、甘える事にした。
日本では滅多に味わえない、「女」の特権を感じる瞬間だ。
それからチャンのトゥクトゥクで、俊くん達と待ち合わせをしている宿へ送ってもらったのだが。
チャンは宿の少し手前でトゥクトゥクを止め、「Oh...I want you to stay here tonight...」

キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! (2ちゃんねる風)

「No, I have to go...」
「Why? you can change the ticket for tomorrow...」
あぁ、こんな純なラオボーイに「もう少しここにいてよ…」なんてささやかれる事、もうないかもしれない。
ちょっと「No...」と言う自分に酔いつつも、意外に引かないチャンにてこずっていると、
「なんや美穂ちゃんバイタクの兄ちゃんとイチャついとるでー!」
俊くんとふっさん、そして前日ルアンパバーンの情報収集をしている時に知り合った社会人の沢田さんに発見された。
バスの出発時間がせまり、なかなか帰って来ない私を探してくれていたらしい。
「もう宿にトゥクトゥクはつけてあるから!」というふっさんの言葉と共に宿へ走る。
結局チャンにはサヨナラも言わず、なぁなぁに去ってしまった。
ボロボロの夜行バスに揺られつつ、色々あった一日を振り返り、薄笑いを浮かべながら私は眠りに落ちていった。

サバナケット-Savannakhet-
10日目。8月27日。
前日は朝の3時にサバナケットに着き、眠い中ゲストハウスに落ち着いた。
この日はとりあえず朝起きて街を散歩してみる事にした。
するとベトナム人がたまっている民家があり、手招きして呼んでくれるので行ってみた。
みんな熱心に話し掛けてくるのだが、英語がわかる人が1人しかおらず、
しかもその人の英語も微妙で、なかなか会話がかみ合わない。
「友達も連れて、昼にまたおいで」と言われたので昼に俊くんとふっさんを連れて行くと、その家はシャッターが下りていた。
まったくかみ合っていなかったようだ。

バス乗り場で、もう1人、東京から来た大学生の直樹くん(以後直吉)と合流し、私達4人はベトナムへ向かった。
が。
このバスが最悪だった。
私は生まれて初めて痴漢というものに遭った。
夜10時にサバナケットを出たバスが国境を越えられるわけがなく(通常国境は夕方に閉まる)、
私たちは国境の手前で一泊する事になった。
男3人は「俺達外で寝られる場所探すわ」と言ってバスを出て行き、私は一人、バスで寝る事になった。
このバス、ツーリストバスではなく、ほとんどがベトナムに帰るベトナム人労働者で、
彼らは窓から足を突き出して、重なり合ってエライ格好で寝ている。
私は一番後ろの隅の席で寝ていたのだが、誰かの足が当たる。
あ、スイマセン…と後ろへよけたのだが、また当たる。それも胸に。
またよけると、次は足ではなくて手が伸びてきた。
こ、これはもしや…。間違いない…!
痴漢に遭った人は「実際に遭うと声を出せないもんなのよ」なんてよく言うが、それを聞くたび、私なら絶対叫ぶのに、と思っていた。
しかし。
@ここは100%ベトナム人のバスである。
A唯一の味方の男性陣はみんな外である。
B寝ているところを叫び声で起こされて、寝起きざまに良心的に痴漢をこらしめてくれる人がいるとは思えない。
Cもし私が痴漢に遭ったと訴えても、言葉の通じない彼らの前でこの痴漢男がシラを切り通したら、どう考えても負けである。
結論⇒叫ぶのは有効ではない。=自己防衛。

手が伸びてくるたびに体勢を変え、その手から逃れていたのだが・・・しかししつこい。
いい加減切れた私は、痴漢男の手をブッ叩いてやった。ってか最初からそうすればよかったのだ。
痴漢はやっと引き、しかし私はほとんど睡眠をとれないまま、朝になった。
そして早朝、ベトナムへと国境を越える事となる。



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