ベトナム-Vietnam-
11日目 8月28日
私達はバスから降り、人は人、バスはバスで別々に国境を越えるようだ。
ラオスが大麻で有名な国であるため、ラオスから出る時は麻薬検査が厳しい。
国境には麻薬犬がいると聞いていたので、どんなもんかと思っていたのだが、
バスから放り出されたみんなの荷物の上を、プードルのような小型犬がヨチヨチと歩き、終了。
「なんやシェパードみたいなごっつい犬がやっとんのかと思っとったわ〜ガッカリや」という俊くんの言い分も納得。

フエ-Hue-
バスを乗り換え、フエという街へ向かう。
バスでは、乗っていた兄ちゃんの1人がいきなり服を脱いで、私達に腕相撲を挑んできた。
しかもやたら強く、男勢は全敗した。
腕相撲を挑んできた兄さん
(上)バスの中でいきなり腕相撲を挑んできた兄さん。

バスの終点からバイタクを拾い、宿へ向かった。
安いとこへ、と言ったのだが、連れてこられたのはナントカホテル。ホテル?!
それほど大きな建物ではないが、従業員も揃いの制服を着ているし、
多分私達の泊まれるような値段ではないだろうと思ったのだが、
最終的に4人1部屋、1人4ドルで話がついた。
みんなで大喜びしたのだが、それも束の間、問題が発生した。
誰がどのベッドを使うのか。
この部屋は、シングルベッド1、セミダブルベッド1、エキストラベッド1、という構成になっている。
という事は、セミダブルベッドが必然的に2人、という事になる。
ダブルじゃない、セミ、だ。もちろんみんな1人で寝たい。
私は女1人という事もあり、控えめに「私エキストラベッドでいいよ♪」と言ったのだが、
エキストラベッドも、エキストラという割には立派で、「美穂ちゃん、それはあかん」と一蹴された。
というわけで、ベッド争奪大富豪が始まった。
男3人と同部屋に泊まる時点で思いとどまるべきだったのかもしれないが、
ビエンチャンこそ別部屋だったがサバナケットでも3人で泊まっていたし、
・・・とにもかくにも、ここはとりあえず私は1人用ベッドを確保しなくてはならない。
カードゲーム系はめっぽう弱い私ではあったが、私は幸運な事に1抜けで大富豪となり、エキストラベッドをゲットした。
まぁ仮に私が負けて誰かとセミダブル、という事になったら、きっと誰かが替わってくれただろうけど…多分(?)
ちなみにセミダブルベッドは、俊くんと直吉が仲良くシェアする事になりましたとさ。
俊くんと直吉
(上)ひとつのベッドで夜を共にした直吉と俊くん。

ベッドも決まり落ち着いた私達は、それぞれ出掛ける事にした。
1人でホテル周辺を散歩していると、バイタクの兄ちゃんに声をかけられた。
しつこくどこまでも付いて来るので、仕方なく兄ちゃんのお茶の誘いにのる事にした。
が、いざカフェで話し始めると、この兄ちゃん実はあまり英語がわかってないようで、ひたすらyes,yesを繰り返すばかり。
この晩、私は他の約束があり、時間も迫っていたので
というか反応がyesばかりでつまらなくなってきたので引き上げようとすると、もう1ヶ所、と引き止められた。
そこは王宮?大きな古い城がライトアップされていた。
大したすごくもなかったが、建前上写真を取り、
帰ろうとするとまた引き止められ、仕方なくそこにあったベンチに座った。
すると肩に手を回してきて、何か言っている。
見渡すとあたりはカップルだらけ。…何かイヤな雲行き。
そして予感は的中した。「キスミー」
…ウーン、君がもう少しイケメンなら考えても良かったのだが。「ノー。」
気づけば約束の時間をだいぶ過ぎている。私は半ば強引に歩いて帰った。
しかししつこくついてくる。
「何さ!」「お金は?」「は?」 「お金」「アンタが誘って来たんじゃん!」「…」 ヘラヘラ笑ってついてくる。
あーこれだからベトナム男は!!!
時間の事でイライラしていた私は適当にお金を渡して帰らせた。
それから急いで約束の場所に行ったが、もうその人は帰ってしまった後だと言われた。
あーバカバカベトナム男!!!
ベトナム男 夜景
(左)こいつのせいで約束に間に合わなかった。(右)ライトアップされていた王宮。

12日目。8月29日。
私は朝起きてまず昨日会いそびれた人に謝りに、その店へ行った。
彼女はもう働いていて、昨日の事に関しては、全く気にしていないようだった。
「じゃあ今晩一緒に食べに行きましょう」ありがとう…。

ホテルに戻り、私達はフエの遺跡を見に行く事にした。
たくさんある中でカイディンという遺跡を選んだのだが、私はそこに着いて感動してしまった。
前にベトナムのパンフレットを見ていた時に印象深かった写真があり、それがまさしくここだったのだ。
名前までは覚えていなかったため、まさか自分の行きたいと思っていた場所に偶然出会うなんて、思いもしなかった。

カイディンの石像は、今にも動き出しそうな迫力を持っていた。
カイディンはフエ遺跡の中では規模が小さいものなのだそうで、俊くんは
「これでこんな感動しとったらアンコールワットとかやばいでー!失禁するわー!!と言っていたが、ホントそうである。
豪華な石造りの建築物。こんなに立派なのにもかかわらず、タイに続き、またほぼ貸し切り状態。
私達はたっぷり時間をかけて、カイディンの遺跡を堪能した。
石像 カイディン バカトリオ
(左)カイディンの石像。マジ迫力あった。(中)カイディンを独り占め。階段の真ん中に座っているのが私。(右)マジ面白かった3人。

そして夜は、今晩こそ、立ち寄った甘味店で知り合ったミーと一緒にご飯を食べに行った。
ミーは自分がいつも行くという屋台に連れて行ってくれた。
「Banh canh ca lar」という麺料理なのだが、麺なのにスプーンを使うので、食べるのにとても苦労した。
他、プリンとヨーグルトの店にも連れて行ってくれて、私はベトナムの庶民の食を楽しむ事が出来た。

それから私はミーと川辺の柵に座って色々な話をした。
ベトナムに来てからの散々なベトナム男の話をすると、「ウワー、気持ち悪いネー」
ミーが言うには、ベトナム男はヒマなんだそうな。
確かに考えてみると、男らは大抵バイタクとしてフラフラしてるかテレビ見てるかトランプしてるか。
働くのは女なんだ、というミーの言葉に女のたくましさを感じたのであった。
ミーはとても上手な日本語を話し、英語もバッチリ、あとフランス語も話せるのだと言う。
「美穂はもののけ姫の曲を知ってる?」と、ミーは歌ってくれた。
「ものの〜けぇたち〜だけぇ〜」という物真似フレーズしか知らない日本人の私を前に、ミーはフルコーラス歌ってくれた。
素晴らしい親日家である。
夜のだいぶ遅くまで、私達は話に花を咲かせ、帰りは手をつないで帰った。
もし今度またミーと会う機会があったら、ペンが好き、というミーに何かかわいいペンでもあげてお礼をしたいな、と思う。
あと、もののけ姫をフルコーラス歌えるようにしてから行こうかな。。
屋台 川辺
(左)ミーが連れていってくれた屋台。      (右)川辺の柵。後ろにはライトアップされた橋があり、15秒おきくらいに色を変えていた。

13日目。8月30日。
この日は朝起きて、本当にびっくりしてしまった。
私の体全身に、赤い湿疹が出ていたのだ。
やっべーなと思って腕を眺めている間にも、その数がポッポッとリアルタイムで増えていく。
旅で初の病院かと思ったが、この日は南に移動するバスを予約してあったため、その時間もない。
仕方なく近所にあった薬局っぽい店に行く。するとそこのオッチャンは瞬察で薬を出してくれた。
ホンマか?!と思いつつ、その薬を塗りながら、バスで南へと下る。
昼の1時にフエを発ち、この日はこのままバスの中で就寝。一日移動dayでした。

ホーチミン-Hochiminh-
14日目。8月31日。
朝の6時、私達はニャチャンという場所に着いた。ここは綺麗なビーチで有名な場所だ。
当初の予定ではここで日本から持ってきたユニクロの水着(ビキニ)初披露のはずだったのだが、
何せ体に湿疹が出ているので、ちょっと水着は見苦しい。
というわけで、私は男3人にここで別れを告げ、さらにバスに乗って、南の大都市ホーチミンシティまでブッちぎる事にした。
バスでさらに9時間ほど走り、合計すると約28時間近くかけ、午後4時頃やっとホーチミンシティに着いた。
客引きに連れてこられた宿にそのまま荷を下ろし、
ついに1人になったな〜…なんて思いつつ、バッタリ寝てしまった。
ベトナムのGH1 ベトナムのGH2
ホーチミンで泊まったゲストハウス。めっちゃ民家の中にある。(右)部屋の窓から下を撮りました。

15日目。9月1日。
どうやらベトナムは私に合わないらしい。
ベトナムに入ってからすこぶる体の調子が良くない。
イケメンがいないからだろうか?
…そう、ラオスと隣合っている国にも関わらず、人の見た目の感じが全然違うのだ。
ラオスはタイと近い、いかにもアジアンボーイという、やや濃い目の顔立ちの人が多いが、ベトナムは、中華系が多いのだろうか?何か違う。
俊くんにも「美穂ちゃんベトナム入ってから笑顔減ったやんなぁ…?」と心配され、フエ最後の夜には一発芸で私を笑わせてくれた。
が、翌日には全身に湿疹だ。爆

…まぁそんな事はいいとして。
とりあえず私は疲れているようだ。
体の湿疹のほうは、驚くべき事に、あのオッチャンがくれた薬のお陰か、すっかり良くなった。
直吉が「俺これ飲みすぎた次の日に出るよ」って言ってたから、体が疲れたら出るものなのかもしれない。
とりあえずこの日はゆっくり休み、夜に備える事にした。
バイク1 バイク2
(上)ベトナムは車が少なく、そのかわりみんなバイクに乗っている。ホント道路はいなごの大群のようだった。

実は今日は、夜に、とってもビッグなイベントがあるのだ。

私はこの旅の2ヶ月ほど前に、友人まなっぺと共に中国を旅した。
そしてその時北京のドミトリーで、シャイというイスラエル人の男の子と友達になり、
彼は私にとって初めての、旅先で出来た友達になった。
シャイとはほんの2日位しか一緒にいれなかったが、万里の長城に上ったり、北京ダックを食べたり、
何より英語も大してしゃべれず、何をしても要領の悪い私を温かく見ていてくれて、
…早い話、私はシャイが大好きだったのだ。
シャイは北京から南下して旅を続けており、うまくいけば私の今回の旅で再会出来るかも、という話だった。
本当はタイで会えるはずだったのだが結果的に入れ違いになってしまい、半ばあきらめていたところ、
「もう少しでベトナムに入るんだよね〜」とメールが。
…も、もしかしてタイじゃなくて、来る予定すらなかったベトナムで再会出来ちゃうのでは?!
うまい具合にシャイもホーチミンシティに来ているという事で、なんとこの晩再会が決定したのだ!

特に予定のなかった私は、待ち合わせの1時間前に、その場所へ行った。
シンカフェという誰もが知っている有名なレストランの席に座り、シャイを待つ。
外では雨が降り出し、ベトナム人のおじさんが雨宿りをしに入ってきて、私の前の席に座った。
今シャイを待っているいきさつを話すと、
「Oh!!You are Japanese, he is Israeli.You met in China, then you can meet again in Vietnam!What a romantic story!!」
…イヤー、ホントそうだよな、私は日本人でシャイはイスラエル人。中国で出会い、ベトナムで再会。
そりゃロマンチックだよ、ホントに…。

おじさんが去った後もその言葉を噛み締めながらシャイを待つ。
待ち合わせの8時を過ぎた。シャイは現れない。
15分ほど過ぎて、レストランの入り口に見覚えのあるシルエットが見えた。シャイだ!
私は入り口までダッシュし、絶叫して感動の再会を果たした。
「遅かったね、何かあったの?」「・・・・・・」
なんと「シンカフェ」と言われていたのに、私はその隣にある「ゴンカフェ」で待っていたらしいのだ。…ゴンカフェって…。
シャイはシンカフェにいない私を探してくれていたのだ。ごめんねシャイ…。
「anyway」私達はゴンカフェの席について、一緒に晩ご飯を食べる事にした。

ベトナムで食中毒に遭い、シャイはちょっとやせたと言っていたが、
カールした髪や眉毛の上のピアスなど何も変わっていなくて、
私は嬉しさのあまり何も言えず、ノドの奥でグゥ奇怪なカエルの鳴き声のような声を出していた。
北京でお別れを言った時は、日本人はhugしないの、なんて言ったせいか、ただ手を振ってお別れだったのだが、
今日会うまでのメールでも「u do remember u owe me a hug,dont u? ;)」とかいうやりとりもあり、今回は解禁だ。
いやーしかしまぁ欧米文化というのはすごい。
私なんかはこんな接近して座っているというだけで緊張してしまうのに、
あっちにはパーソナルスペースという概念がないのだろうか。近くてナンボの勝負である
そしてhugとかそういうのをサラリと出来てしまうのがまた憎い。
自称やまとなでしこ荒木、完敗である。

ゴンカフェでの晩ごはんの後、近くのバーにハシゴし、気づけば12時を回っていた。
今思えば2,3日シャイと一緒にベトナムを楽しめばよかったのだが、
一刻も早くこのベトナムという国を出たかった私は、翌日の朝発のカンボジア行きのバスチケットを既に購入してしまっていた。
中国での別れの時は切なくて泣いてしまった私だったが、
何となく2回会えれば3回目もあるだろうという気がして、今回は笑顔で別れる事が出来た。
…次はいつ、どこで会えるんだろう?
本気で3回目があると、私は今でも本気で考えている。



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