ネパール-Nepal-
朝7時に、ネパール行きのバス乗り場に集合する。
乗り場には、10人くらいのツーリストが集まっていた。
しばらくすると、1台のジープがやって来た。どうやらこれで行くらしい。
「エー、こんなジープに全員乗れるのかなぁ♪」とか話しながら荷物を積み込む。
みんなに続いてジープに乗り込もうとすると、運転手に声をかけられた。
「お前の荷物はどれだ?」「その、黒いバックパックです」
すると、運転手は車の天井にくくりつけてあった私のバックパックをドサッと下ろした。
「席がないからバスで行ってくれ」「・・・え?」
どうやら、キャパが10人のところに11人のツーリストがいて、私は切り捨てられたらしい。
佇む私を尻目に、定員10名のツーリストを乗せたジープは、ネパールに向けて去っていった。
「ガバメントのバスが待っているからノープロブレムだ」と
運転手に渡された50ルピー札を持ち、私はバス乗り場へ向かう。
どんな立派なバスかと思えば、そこにあったのはインド人100%の、素晴らしくローカルなバスだった。
今にも壊れそうなバスに揺られ、夕方、ゴラクプルという街に着いた。
あの運転手は、乗り換えナシでネパールの国境スノウリまで行けるから、と言っていたが、
どうやらここで乗り換えないとダメらしい。しかも50ルピーじゃ足りない。
しかし、ここには文句を言う相手がいない。
私はツーリストバスに見捨てられた上に
自腹を切ってローカルバス料金を払い、
自力で次のバスを探した。
隣の乗客が替わる度に痴漢に遭い、インド人いい加減殺すぞと思い始めた頃、バスは止まり、どうやらそこが終点スノウリのようだ。
今晩の宿泊料金はツーリストバスの料金に含まれている。
ちなみにジープでバラナシを出た他のツーリスト達は、5時にはここに着いていたらしい。(私は8時)
どうやら今晩は相部屋のようだ。
相部屋の相手はイスラエル人で、名前はシャイと言った。なんて良い名前☆(中国・ベトナムの章参照)
ヒゲをたくわえたダンディなシャイは、超ジェントルだった。
しゃべり口調も穏やかで、今日の出来事に文句をたれまくる私の話も、優しく笑って聞いてくれた。
シャイは本当に話しやすい人で、たくさん話したかったのだが、
この地帯は10時になると電気が落ちるらしく、それに合わせて強制的に就寝になった。
翌日、早速ネパールの首都、カトマンズ行きのバスに乗る・・・予定が、
速攻ストライキに遭ってしまい、今日はバスがないと言う。
うーん…予想はしてたけど、こんなすぐに遭うとは…。
とりあえず、この宿は便器に便座がないし、虫は多いし、もう1泊はしたくなかったので、
シャイと一緒に国境を越え、ネパール側に宿を探す事にした。
イミグレーションに行くと、私はいきなりネパール人に話しかけられた。
「マナミのフレンドか?!」え、何なに?!
そう、私の偉大なる旅先輩、まなっぺは今ネパールにいる。
私がネパールの情勢を気にして躊躇している時、
まなっぺは、「安全だから早くおいで!」とウェルカムのメールをくれた。
その中には「私のブラザーがミホを待ってるから♪」という一言もあった。
あ、この人がブラザーなのかしら?
ブラザーの名前はアルジュンといい、私の来ネ(?)を待っててくれていた。
当のまなっぺは、カトマンズに既に移動したらしい。
宿に落ち着き、時刻はまだ午前7時。
今日はカトマンズには行けないから、何もやる事がない。
国境の町って大抵何もないし…。
するとアルジュンが再びやって来た。
まなっぺの状況など、知りたい事もあった私は、彼と一緒に外へ出た。
やっぱり国境の町というのは何もなかったが、
彼の兄さんの家やら友達との飲みやら、色々連れ回されているうちに1日は過ぎた。
翌日もストライキは明けなかった。
1日くらいならいいけど、2日目はちょっとつらい。
シャイは、飛行機でカトマンズへ向かうと言う。
そう、閉鎖されているのは陸路のみで、空路を使えばカトマンズはすぐだ。
…けど、私には予算的に苦しい。
ダンディでジェントルなシャイは、先にカトマンズへ行ってしまった。
(上)シャイ。あーもっと話したかった・・・
今日も律儀にアルジュンは宿へ来てくれた。
そして、暇を持て余す私を、近くの街ルンビニへ連れていってくれるという。
車で行くはずが、どうやら車を持っている友達が見つからなかったらしく、私達はリキシャで向かう事になった。
ガタゴトガタゴト…
ガタゴトガタゴト…
「ねぇアルジュン、いつ着くの?」
「2hours」
「?!」
リキシャで2時間。そんなの聞いた事ない。
約25kmチャリをこいでいる側もつらいだろうが、私だってつらかった。
痔になるんじゃねぇか、と本気で心配し始めた頃、私達はルンビニに着いた。
(上)道の途中で会った、ババ(修行してる人)
ルンビニは仏陀生誕の地という事で、色々な国の寺がある。
日本、ミャンマー、中国、韓国などの寺を見て回ったが、
実際私はあまり興味がないので、写真も特に残っていない。爆
どうやらこのリキシャのドライバーの家がルンビニ近郊にあるらしく、彼は私達を招待してくれた。
そこはまさしく「村」だった。
リキシャも入れない畑のあぜ道を進む。
彼の家族が、私達にご飯をご馳走してくれるらしい。
料理の準備をしているおじさんのところに行くと、おじさんの手には1羽のハトがいた。
そして、次に見た時にそれは羽をむしられ、まさしく鳥肌になっていた。
最終的にそれはご馳走のおかずとして私の前に現れた。
ご飯はネパールの定食、ダルバート。
大きな皿に白飯が盛ってあり、ダルというスープをかけて食べる。
しかし、このご飯の量が尋常じゃなく、びっくりドンキーのライスの3倍くらいある。
アルジュンは慣れた手つきであっという間に食べ切ったが、私は無理よ?
「もうお腹いっぱい…エヘヘ…」と、作ってくれたおばさんに言うと
「お腹がいっぱいなわけがない」と言われた。
そうだよね、こんなご馳走を前にして、お腹いっぱいなわけないよね…
しかもアルジュンは「残すのは失礼だから全部食べるのが礼儀だ」と、
全く助け舟を出してくれず、
私は泣く泣く食べ、何をしに来たのかよくわからないまま、またリキシャで2時間揺られて帰途についた。
(左)何もない。ひたすら菜の花畑。 (右)アルジュンと、リキシャのドライバー
翌日、やっとストライキが明けた。
早速まなっぺの待つカトマンズへ向かう。
治安面の不安がまだ拭い切れない私は「シスター(まなっぺ)と再会だ〜♪」
と張り切るアルジュンを連れて、バスに乗った。
ところが、バスは休憩ばかりで全然進まず、20分の休憩と言いつつ2時間止まりっぱなしだったりして、
挙句の果てには、ストライキがまた始まったとかで、路上で一泊するはめになった。
そろそろ本気でありえん。
(左)バスに乗っていたチベット人の女の子。このバスはチベタンが多かった。(右)路上に佇んでいた少年。鼻タレ具合がたまらない。
カトマンズ-Kathmandu-
通常なら7時間ほどで着くはずのカトマンズに、私達は2日かけてやっと到着した。
アルジュンがホテル選びから全て仕切ってくれている。
「ちょっとこの部屋で待ってて」と通された部屋のドアを開けると…
「!!!」
なんとそこにはまなっぺがいた。アルジュンも粋なサプライズをしてくれたもんだ。
ってか、え、何これ、同じ苫小牧に住んでて同じ大学に通ってて、…で、何でカトマンズで再会してるのー?!
何だかすごく不思議な気がしたが、とにかく私達は異国での再会を喜び合い、
それから数日は、私とアルジュンと
まなっぺ、
そしてアルジュンの友達のサントスの4人で一緒に過ごした。
(左)アルジュンとまなっぺと。不思議な3ショット(右)ディスコにて。サントスと。
着いた翌日、私達はバクタプルへ行った。
バクタプルは、昔の町並みがそのまま残っている、いわばミニ京都みたいな場所だ。
しかし、いざ行ってみると、ツーリストは入場料が$10だという。
いくら何でも$10は高い。
掲示をよく見ると、中国人はなぜか入場料がネパール人と同じ料金(数十ルピー)でいいらしい。
そこで私とまなっぺは中国人になり、「我是中国人!」と
中国語で挑んだ。
すると、係員は「君達が中国人なのはわかったけど、パスポートの提示がないと入れられないんだ」と言った。
中国人なのはわかってもらえたけど、パスポートは今手続き中で大使館にある、という理由は通されず、私達はあきらめざるを得なかった。
そして、サントスとアルジュンにカメラを渡し、バクタプルの中を撮って来てもらう事にした。
だって$10は高いって。
(上)バクタプルの中。アルジュン撮影。ところどころ工事中だったらしい。
アルジュンは、よくカトマンズにいる彼の友達を紹介してくれた。
しっかし、どいつもこいつもちょっとヤンキーフレーバーが入っている。
見せてくれたアルバムの写真は、バイクに旗立てて撮ったやつとか、マスクで顔覆ってるやつとか、
日本にいたら絶対に関わりない人達であるという事を示してくれた。
アルジュン、元ヤン…?
普通に優しいとは思うけど、何か問題起こさなきゃいいけど…。
と思っていたある日。
「もうこんな男といるのやめな」
その日はまなっぺのこのセリフから始まった。
全く状況の理解出来ていない私に、まなっぺは全てを教えてくれた。
どうやらこのホテルは、旅行会社で働くサントスの取引先のホテルらしく、
今までのサントスの実績と、ホテルとの信頼関係から、私はアルジュン共々タダで泊めてもらえているらしい。
なのに、アルジュンは部屋を荒らすわ、勝手に友達呼ぶわ、全くその立場をわきまえていないと言うのだ。
わざわざ来てくれたゲストだから、と何も言えないサントスに代わって、
我慢し切れなくなったまなっぺが現状を説明してくれたのだ。
うーん、複雑な事になってしまった。
まなっぺはサントスを支持し、
一時はブラザーと言っていたアルジュンも今や彼女の敵だ。
そんなアルジュンを連れてきたのは私だ。
もちろんまなっぺが私に冷たくなったりするわけじゃなかったが、
逆にサントスが私に変わらず親切にしてくれるのが苦しくなってきたし、
サントスとアルジュンの関係も、実はあまり良くないっぽい。
とりあえずアルジュンを呼び、迷惑になるような事はやめよう、と諭したのだが、
アルジュンは懲りずに早速友達をホテルに呼んでいた。
私を少しでも多くの友達に会わせてあげたい、という彼なりの好意らしい。
しかし、好意といえそれは既にまなっぺの神経を逆撫でするものに他ならない。
翌日こそサントスとまなっぺと4人でゴダウリ、パタンに遊びに行ったが、
それ以降は、私はアルジュンをサントスとまなっぺに近づけないように、アルジュンと2人で外出するように努めた。
…なんで私がこんな気苦労してるんだ…?
(上)左の写真がディペシュ。服をプレゼントしてくれたり、1番優しかった。その他2枚、ヤンキーフレーバーズ。
バイクで街の寺巡りをしたり(アルジュンはすごい飛ばし屋だった。やっぱヤンキー?)
主にアルジュンの友達と会ったりしているうちに日々は過ぎ、帰国の日が近づいてきた。
カトマンズ最後の日となったこの日、アルジュンはナガルコットへ行こう、と言ってきた。
ナガルコットは、ヒマラヤ山脈を仰ぎ見る事が出来る山だ。
実は既に4人で一度行っていたのだが、私達のバイクは、その時よりさらに上までどんどん上っていく。
そして、ついに山の頂上まで上った。
そこからは、ヒマラヤの連なる山々が一面のパノラマとなって広がっていた。
(左)本当にすごい大パノラマだった。 (右)だいぶネパーリ化してきた私。途中の検問では、アルジュンの姉と間違えられた。
ナガルコットから帰ってきてからは、またアルジュンの友達巡りをして過ごした。
アルジュン、もう友達はいいよ…。
アルジュンは明るくて、常に喋っていて、陽気なイイ奴なんだが、
とことんgoing my wayで、やたらペースが早く、私はたまに、いや、いつも巻き込まれて疲れていた。
私ももっと自己主張すればよかったんだけど、いささか保護者というか、
なんかもう何で今ネパールにいるのかとかよくわかんなくなっていた(°∀°)
本当は陸路でインドへ戻る予定だったのだが、運悪くまたストライキが始まってしまい、
私は急遽デリーへの航空券を取り、空路で戻る事になった。
前日の夜には、あれほど迷惑をかけたにも関わらず、サントスとまなっぺは私にプレゼントをくれた。
朝はアルジュンにバイクで送ってもらい、あっという間のカトマンズともお別れだ。
アルジュンは、また来てね、と涙目で別れを惜しんでくれた。
コイツには今回カナリ振り回されてしまったけど、本人は全然悪気はなくて、
なんか憎めないんだよなぁ…。
ありがとう、アルジュン。
実際、今回はストライキのせいもあり、ほとんど何も出来なかった気がする。
もともとネパールに行きたい気持ちは強かったので、来れただけ良かったけど、
実際もう1回来ないと、私のネパールはこれじゃ終われないわという感じだ。
上空からヒマラヤを眺め、デリーへと帰る。
デリー市街へ出て、少しインド食材などを買いこんだ。
マッサージさせてくれだのキミをテイストしてみたいだの、
相変わらずのインド人は、感傷に浸る暇すら与えてくれなかった。
出発時間に合わせて空港に戻り、私は前回の旅で出会った素敵な仲間達に再会するため、台湾へ向かった。
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