タイ-Thailand-
中国への旅で“バックパッカー”というヤツにとりつかれた私は、夏休みは絶対旅をすると決めていた。
けどヘタレの私は最初から1人でというところまでの決意が出来ず、前から旅行に興味を持ってくれていた友人玲ちゃんを誘い、
2004年8月18日、一緒にタイへ飛び立ちました。

1日目。8月18日。
新千歳空港を夕方に発ち、1時間時差のある台湾に、夜到着した。
格安チケットのため台湾で一泊する事になっているのだが、そんなたかが経由の一泊に払う金はナイ。
私達のベッドは空港のベンチである。
「さて、どこで寝ようかねぇ・・・」

本当は到着出口付近のベンチがクッションがきいてて寝やすそうだったけど、人の行き来が激しくて何となく落ち着かないので、
小心者の私たちは人っ気のない3階の搭乗カウンターのベンチで寝ることに。
しかし!
3階、寒い!
ビョービョーと冷房の風が吹きつけ、大した防寒対策をしていない私たちはとてもじゃないが寝つけない。
しかもベンチは硬くて痛い…。
早朝、耐え切れなくなった私たちは「1階の方が少しかマシかも…」と1階へ。

…めちゃめちゃ人寝てるやんけ!!!
「なんだくそー、ここで寝ればよかったね…。」
睡眠を取り直すか佇んでいると、「日本の方ですか?」振り返ると、男の子が二人。
早稲田の学生(!)という彼らは、私たちと同じく空港での一泊を終え、これからベトナムへ飛ぶとの事。
まぁこれも何かの縁という事で、一緒に朝食をとる事に。空港の売店で肉マンを買って食べた。
「……。」一同沈黙。
「においがダメ…」「ちょっとね…」
そんな中私は「うまくね?!」と一人モリモリ食べ、挙句の果てには玲ちゃんの肉マンまで奪って食べました。
ともあれ、アドレスを交換して、お互いそれぞれの搭乗口へ。

お互い良い旅になりますように!
ゆたかくんとよしのぶくん
(上)よしのぶくんとゆたかくん

2日目。8月19日。
ラッキーな事にビジネスクラスに乗せてもらえた私たちは一路タイへ。
空港に着くなりジットリと汗が…タイだ、タイに着いた…!
さて、本日これから向かう先は、タイの真ん中よりちょっと北の街スコータイ
とりあえず、スコータイ行きのバスが出るバスターミナルを目指す。
玲ちゃんは海外初めてだし、私がリードしなきゃ!
向こうから寄って来る野郎共は徹底的にシカトのつもりだったけど、荒木好みのイケメンタイボーイがやって来たので
素直にそのお兄さんについて行きました。

お兄さんの案内で無事にバスに乗れた私たち。
運転手に促されて降りてはみたが、「どこだ、ここ…?」
バスターミナルらしき建物は見当たらない。
それから何度も人に尋ねてバスを乗り降りし、やっとこさ、スコータイ行きのバスターミナルに着いた。
結局あのお兄さんの案内は正しかったんだろうか。
いや、多分すごい無駄な動きをしまくった気がするぞ。
あーでも写真くらい撮っておけばよかった。お金も取られなかったし。(←まだ言ってる)

バンコクからスコータイまでは、バスで約7時間。
最初こそおんぼろバスに盛り上がっていた私たちだったが、だんだん外は暗くなり、しまいには雨が降り出した。
ちゃんと閉まらない窓からは雨が入り込み、しかもバスの中は無意味に冷房がガンガン効いている。
「南は暑い」の信条で来た私たち、昨夜といい、寒さに泣く。
「…ホットシャワーのあるとこに泊まろう…」
バスターミナルにはトゥクトゥクがたくさん待ち構えていたので、そう苦労なく私たちは宿に着く事が出来た。
ゲストハウスは日本人を含めたくさんのツーリストでにぎわっており、「…やっと着いたね…」
夜9時を回ってやっと最初の目的地スコータイに着き、感慨もひとしおの私たちでした。

スコータイ-Sukhothai-
3日目。8月20日。
このスコータイという街は、昔の仏像の遺跡がたくさん残っている事で有名な街。
私たちはチャリをレンタルして、街のあちこちに散らばる遺跡巡りをする事に。
どれも立派な遺跡なのに、これだけの数があるせいか、貸切になってしまうのが何とも贅沢。

スコータイ遺跡1 スコータイ遺跡2 スコータイ遺跡3

昼下がり、意外に早く遺跡巡りを終えた私たちは、ある寺へ行く事に。
その名は「ワット・ターウェット」
ある僧侶の夢に出てきた光景を、そのまま実現化したのだというこの寺。
一体この僧侶はどんな夢を見たのだろう…???
ワット・ターウェット1 ワット・ターウェット2 ワット・ターウェット3 ワット・ターウェット4

チェンマイ-Chiang Mai-
4日目。8月21日。
スコータイを満喫した私たちは、続く街、さらに北のチェンマイへ。
チェンマイでの目的は、トレッキング、いかだ下り、象乗り…と、チェンマイに来たらお決まりのコース。
本当はそれらがひとまとめになった現地ツアーを申し込む予定だったのだが、
ツアーだと、バンコクに帰る夜行列車に微妙に間に合わないという問題が発覚した。
うーん、これは困った…。
しかし困っていると誰かが救いの手を差し伸べてくる(単に声をかけてくるという場合も多い)のがアジア。
この時も、駅にいたトゥクトゥクのオッサンが近づいてきた。
事情を説明すると、オッサンの車で個人的に回れば列車にも間に合うよ、との事。
ツアーに参加して欧米人ツーリスト達との交流を思い描いていた荒木ではあったが、チェンマイまで来て何もせずに帰るのは惜しい。
俺には300Bだけ払えばいいから、という話に私達は合意した。

トレッキング他は明日という事で、私達はゲストハウスに荷を下ろし、オッサンにチェンマイの有名ドコロを回ってもらう事にした。
途中宝石ショップやシルバーの店に立ち寄り、ハメられたなと思いつつ、まぁその辺はうまくさばき、寺などを観光。
(タイでは、宝石店などはトゥクトゥクの運ちゃんと契約しており、客を連れて来ると運ちゃんに金が入るところが多い)

寺を観光しているうちに、私は「お坊さん」の概念が少し変わった。
お坊さんといったら、厳しい修行に身を置き、キリリと威厳を放っているのかと思いきや。
ウォークマンを聞きながらジュースを飲み、集団で遠巻きにこっちを見て「ケケケ」と笑ってからかってくる始末。
まさしく「小僧」といった感じである。
しかしそれがめんこいのもまた「小僧」で、寺の中でお参りをしていたら、1人の小僧が照れながら話し掛けてきた。
「英語を勉強していて、会話の練習をしたいのですが…」
確かに周りを見ると、主に欧米人の旅行者を捕まえて会話している小僧が多々。
勤勉だ、小僧たち!!
というわけで、即席英会話教室スタート。
だんだん集まってきて、5人ほどの小僧を相手に、色々な事を話した。
16,7歳の男の子達が、はにかみながら一生懸命英語を話す姿は、本当に見ていて愛らしかった。
そして荒木はそんな育ち盛りの青年が坊主でしかもチラリズムな服を着ているのを見て、それはそれは大満足していたのでした。あゝ変態。
チラリズム
(上)チラリズム参考資料。このお坊さん達は、ラオスの寺のお坊さん。チェンマイと異なり、15歳にして僧侶の落ち着きだった。

宿に戻り一休みした私達は、チェンマイ名物のナイトバザールへ。
ものすごい数の店が並び、ものすごい数の人であふれている。ダラダラ汗をかきつつ買い物に精を出す私達。
「私はまだあと2カ国回るんだから、浪費しないように…」と自分に言い聞かせつつ、…散財。
バックパックをはじめ、ブレスレットやらポーチやら…。
チェンマイは観光地だから、決して安くはないんですよね、本当は……。
これはアレだな、お祭りに行くと大して欲しくもない綿菓子買ってしまったりするような、一種のトランス状態。…まぁいいや、楽しかったから。
玲ちゃんとお酒で乾杯して、チェンマイ1日目は終わるのでした。
玲ちゃんと乾杯

5日目。8月22日。
朝からオッサンの車に揺られ、山間部にあるメーサー・エレファント・キャンプへ。
ここでは、そのお決まりのイロイロが、全部まとめて出来るらしい。
「…やられた…。」
入場料、びっくりの1500B(4500円くらい)。
くそー…。ある程度するだろうとは思っていたが、こんなに取られるとは思わなかった。
軽くディズニーランドど変わらねーじゃねーか。
“貧乏旅行”的なものに少なからず憧れのようなものを抱いていた私にとって、こんな観光客値段を飲むのはいささか納得のいかないものではあったが、
単細胞の荒木、その後の象のショーで、象乗りのお兄さんが石田靖に似ている事ですっかり気を良くした。

象のショーを見た後は象に乗った。以前にタイに来た時にもアユタヤで乗った事があったのだが、
その時は象の背中にくくり付けられた椅子に乗ったままだったのに対し、今回はお兄さんがサービス精神旺盛な人で、象の頭に乗せてくれたりした。
真下に見える道は雨上がりなのかグッチョグチョで、象のウンコがゴロゴロしている。
象の頭なんて、なかなか乗れないところに乗っちゃってカメラに笑顔なんて振り撒いてるが、手はガッシリ象の頭をわし掴みしているのであった。
お兄さんの写真 象乗り
(左)石田靖似のお兄さん。             (右)象乗りの様子。頭わし掴み。

象乗りの後はいかだ下り。
いかだ下りと聞いて、私は激流を想像していたのだが、どうにものどかである。
しかし。
下ったのはいかだではなかった。
いかだの上で私は猛烈な腹痛に襲われたのである。

「お腹グルグル急降下」

某CMのキャッチフレーズが頭をよぎる。
私の中で激流いかだ下りが始まった。
のどかな風景に笑顔の玲ちゃんを尻目に、私は一人激流を下っている。
「早く終わってくれ…!!!」
結局私はいかだからの風景はあまりよく覚えていない。
腹痛の前に、船頭のお兄ちゃんの腕の筋肉にタッチしてしびれた事しか覚えていない。
いかだを降りて速攻トイレに駈け込み、そんなこんなで私の激流いかだ下りは終わった。
いかだ下り
(上)いかだ下り。腹が痛くなる前に撮影。

モンキースクールスネークファームにも行った。
オッサンの善意で寄ってくれたのか、それともオッサンに金が入るのかは知らないが、とりあえずどっちも200Bというのは私の財布には痛手だった。
まぁモンキャー達はかわいいのばっかだったからよかったかなー…。
モンキャー1 モンキャー2 スネークファーム
モンキースクール。(左)baby             (中)ショーに借り出された私。          (右)スネークファーム。蛇を首に巻いて撮影。ありがちですが・・・笑

それなりに楽しかったのだが、全体的にちょっとボラれまくった感のあるチェンマイに複雑な心境で
私達はチェンマイ駅に戻り、シャワーを浴びて、夜行列車に乗り、一気にバンコクへ戻った。
チェンマイ駅
(上)チェンマイの鉄道駅。タイ語と英語で"changmai railway sta(tion)って表記してあるの見えますか・・・?

バンコク-Bangkok-
6日目。8月23日。
朝にバンコクに到着。
私達はいざバックパッカーの聖地とも言われるカオサンへ向かった。
バックパックは重たいわ気温はバカ暑いわで、私達はあまり雰囲気はよくなかったが行きついた宿で妥協した。
一息ついた私たちは、とりあえず黄金の涅槃仏で有名な「ワット・ポー」へ向かう事にした。
しかし行く道で次から次へと「ココとココとココ回って何バーツ」みたいなのばっかり寄ってきて、私達はいい加減うんざりしていた。
ワット・ポーに着いてみれば、「2時までセレモニーで入れない」 2時まで待てば「3時半までだ」 しまいには「今日は観光客は入れない日だ」
人間不信になった私達はワット・ポーへ突撃。
…そしたら何の事はない、普通に入れたではないか。
きっとみんな「そこココツアー」のためにそう言ってたのだろうか。…観光地ってこれだから困る。ナメんなよ。
後々知ったのだが、バンコクの観光寺の周辺は「今日はこの寺は休みで入れないから代わりに別の寺へ連れてってあげる」という「休日サギ」が多いのだそうだ。
ワット・ポー1 ワット・ポー2
ワット・ポーの涅槃仏。違う角度から2枚どうぞ。

連日の移動やら何やらでさすがに疲れ気味の私達は、ワット・ポーだけ見て宿に戻り、夜はカオサンの屋台で買った串を部屋で食べた。
少しお酒も買い込み、恋バナなんかに花を咲かせつつ、
そして隣の部屋の大騒ぎ&たまに壁をノックされるのにおびえつつ、カオサンの夜を楽しんだ。
(今思えば、この宿、絶対ジャンキー宿だったと思う…。)
カオサン
(上)カオサンの夜景。ここはタイだけどタイじゃない!欧米人だらけ。

7日目。8月24日。
この日は目覚ましもなく、ゆっくり心行くまで寝た。
それからナントカ市場という、服が安いとかっていう市場へ行ったが、
タイの服というのは「カワイイっちゃカワイイけど買うほどじゃない」みたいのばっかで、イマイチ感を残して帰ってきた。
それから宿を移り、シャワーを浴び、突然私は思い立って今日の夜にラオスへ行く事を決めた。
(注:もともと玲ちゃんは1週間の予定で、帰りはバラバラの予定だった。)
最初玲ちゃんと旅をすると決まった時は、1人になってからが本当の旅で、玲ちゃんとの旅はオマケ感覚でいたが、
実際一緒に旅をしているとすごく楽しくて、これから1人になるのがちょっと不安になってしまった。
そんな複雑な気持ちで私は玲ちゃんに見送られてバイクの後ろに乗り、カオサンのど真ん中を走り抜けてラオス行きバス乗り場に向かった。

そういえば、ネットカフェでメールをチェックしたら、日本の友達みんなから駒沢高校優勝のメールが入っていた。
出発前に、東京の日大三高に勝ったのを見て結構イケんじゃね、とは思っていたが、
まっさか優勝するとは!
小学校5年生からかれこれ10年近く高校野球を見続けているのに、地元高校の優勝の瞬間を逃すなんて…。
きっと地元の高校が優勝するなんて、多分もうこの先人生二度とないんだろうなぁ…。



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